2014年12月7日日曜日

マラザン斃れし者の書

マラザン斃れし者の書Ⅱ(砂塵の魔門 4)P.107より

大きな悲劇を体験した人の問いに知恵ある歴史家が答える。

「いい答えはあるんでしょうか、歴史家。多くの書物を読んで、多くの人の、多くの時代の思想を知ることで、答えは出るんでしょうか。人間は人間にできることを知りえるんでしょうか。兵士のいかんを問わず、これだけのものを見て、生き残ったら、私たちはなにか変わるんじゃないでしょうか。あともどりできないほど徹底的に。そのとき人間はどうなるんでしょうか。人間以上?人間以下?それでも人間なのか、もはや人間ではないのか」

「人はそれぞれ限界点を持っている。兵士でもだれでも、一定以上の経験をすると・・・・なにかが変わる。世界が変化したように感じる。しかし実際にはこちらの見方が変わっただけだ。視点が変わる。しかしそこに知性はない。見てもなにも感じなくなる。泣いても、そんな自分の苦しみが他人事のように感じられる。そこに答えはないんだ。どんな問も燃えつきる。それが人間以上か以下かは・・・きみが決めることだ」

「すでに本に書かれているんでしょうね。学者や神官や・・・哲学者によって」

「試みはあった。しかし限界点を超えると・・・その場所を説明できる言葉は少なくなるんだ。そして説明する気も起こらなくなる。なにしろ、知性のない場所だからな。思考はさまよい、形とつながりをなくす。迷子になる。」

「その答えは?教えて下さい。でないと頭がおかしくなる」

「手品だと思えばいい」

「手品?」

「これまでに見てきた魔術はどんなだった?巨大で、強烈で、危険な力が解き放たれた。畏怖と恐怖を呼び起こした。それに大して、子どもの頃に見た手品はどうだ?手品師の手のなかで錯覚と巧みさのゲームが披露される。目のなかの驚きだ」

「それが私の答えでもあるんですかね」

「おもいつくのはそれだけだ。不十分だったらすまない」

「いいえ、充分ですよ。そう納得しなくてはいけない」

「そうだな」

「ただの手品です」

「それ以上は望まないほうがいいい。この世界では」

「それ以上のものがみつかるとしたら、どこですか?」

「予想外の場所だ。きみが涙と笑顔の両方をこらえれば(私注:乗り越えれば?)、きっとみつかるだろう」

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